ノービター正田の、本当にあったらめ〜ん話。

ノービターのフロントマン正田の、実体験による怪談と大好きなラーメンの話。

脈絡のない話㉔

ツイッターで激しく仲の良い、のすけという人物からの要望でブログを10日連続で書いてみようと思うよ正田だよ!音楽の話がほとんど出てこないので、正田に個人的な興味が無い人は圧倒的につまらないブログを展開するよ!するんだよ!!

 

今日は第一夜、原因。(知ってる人と知らない人がいると思うので軽く説明すると、8月の中旬、正田は人生初の入院生活を体験しましたのだす。だす。)

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 正田は高校の頃からヘルニア持ちで、腰は常に庇いながら生活をしているのだけど。
だけど、だからと言って日々薬を飲んでいたり病院に通ったりとかそういうことは全然なくて、ちょっと気をつけてる、くらいのなんとも軽いものだった。だった(過去形)
それが8月のある日、ちょっとした腰の角度?から激痛がはしり、息をするだけでも痛い。立ち上がるだけで激痛。真っ直ぐ立ってられない!みたいな状態になってしまったので病院へGo!

一通り問診票を書いて、レントゲンを撮って(レントゲンはいろんな角度から撮るから、お医者さんに「次こういう態勢になってねー」ってグリンと回されるたびに激痛で叫び声をあげる、大の大人。いや恥ずかしや。)当然ヘルニアとの診断。個人差はあるけど1週間~1ヶ月で痛みは引くでしょうとのことだった。

痛み止めを処方してもらい、帰宅。明日バイト行けるかなぁとか思いながら就寝。

 

 

次の日。明け方。トイレ行きたくて目が覚めた。

ん?

なんだ?

息苦しくない??

腕が妙に太くないか?

(鏡見る)顔でかっっ

…腫れてるな、確実腫れてるな。腫れてるところ熱持ってる気がするな。息しにくいな、苦しいな、なんだよこれ。
寝起きの頭が少しずつ回転し始めて、あ、薬合わないやつだねこれ、と気づく。
まだ早朝だったので、病院が開くには何時間もある。腰の痛みも、昨日より酷くなってる。一人で病院行ける気もしない。

からの、セルフ救急車。家族や友人の為に救急車を呼んだことはあるが、自分のために呼んだのは初めて。そして近くの病院に搬送されたのでした。

合わない薬で拒否反応が出ているから、今体内にある薬の成分をまずは外に出すという説明。その後、腰が相当痛そうだから、昨日までの合わなかった薬とは別の成分の痛み止めを点滴しようということに。
薬の成分を外に出した頃には息苦しさはかなり減っていた。あーとりあえずよかった、と。でも腰の激痛もなんとかしてもらわんことには帰れない。
続いて痛み止めを点滴しつつ、一般病棟へ。腰の痛みに耐えながらじっとこよになっていると。

吐き気。
吐き気。
吐き気。
ちょっとずつ意識が朦朧としてくる。
ナースコールを押そうにも、あれー?どこー?てか、手が動かなーい
みたいな感じ。何これ、死ぬのか?ってリアルに思った。
気づくと看護師さん?お医者さん?わからんけど大人数に囲まれてて何かつけたり何か外したり、これヤバイっすよ的な声が聞こえたり、ずっと仰向けだし意識も朦朧としてたから色々よくわからんけどストレッチャーでいろんなとこ運ばれて、酸素マスクみたいのつけられて、よくわからんとこのベッドに到着。

それから何十分経ったのか何時間経ったのかわからないけど、病状の説明をしに担当医がベットのところに来て。昨日飲んだ薬と今日点滴した痛み止めによるアナフィラキシーショックだとのこと。痛み止め点滴する前に「飲み薬と違う成分の薬を点滴する」って言ってたけど、アナフィラキシーってことは同じ成分だったのでは??と思ったは思ったのだけど。まだ頭ぼんやりしてて、色々聞ける状態ではなかったので「はぁ…そっすか…」くらいに聞いていた。そして、いつ帰れるのかなと思っていた正田に先生が「とりあえず今日は入院で。さらに別の痛み止め使うってことは、薬の経過をみなきゃいけないからちょっと心配なので」と。

 


え。
ここに運ばれて来たからこそのアナフィラキシー、からの入院?どんだけ運が悪いの正田。
かくして正田初の入院生活が始まるのであった。

 


次回、第二夜、ブリブリ音レビュー。ぜってぇ見てくれよな!